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いまやコスメと育児の話ばかりよ

卒園前に■ASDガールの幼稚園での成長を振り返る

娘が今年幼稚園卒園します。
娘は「卒園イヤ~! ずっと幼稚園にいる!」と言っていて、「イヤ」と言えるぐらい幼稚園が大好きになって本当によかった……とホッとしています。
正直、年中半ばぐらいまで「うちでは面倒見きれません」といつ言われるかとドキドキしていました。
というのも、娘は自閉症スペクトラム(発達障害児)だからです。
過去のブログでも書いていますが、本当に、本当に入園するときは悩みすぎてハゲそうでした。


i3valley.hatenablog.jp


卒園を前にして思うこと

多分、卒園式は涙して思い出したらきっとまた泣いて、となにも書けなくなりそうなので先に振り返っておきます。
あと読んだ本とかの紹介も。


私立の幼稚園しかない地域で、公立保育園はすごく遠い。
そんな地区に住んでいるため、理解のある幼稚園を探したほうがいいのではと考えて現在の幼稚園に入園。
加配もついておらず、本当にどうなることかと思いました。
おそらく、年少児の担任の先生(島崎遥香似)が一番大変だったのではないかと思います……。
オムツだし、言葉はおぼつかないし、脱走するし。
申し訳ない……。


年中児の先生(向井地美音似)は「なんでもやってみよう! 大丈夫大丈夫!」といけいけどんどんな感じでいろんなことに挑戦させてくれました。
ピアニカ? 鍵盤ハーモニカ? メロディオンっていうの? 地域によって違うアレも、娘はなんと指一本(人差し指のみ)で全部演奏するという力技でお遊戯会も乗り切れました。


そして年長の先生(渋谷凪咲似)は温かく見守ってくれ、きめ細かくいろんな様子を教えて下さいました。
おかげで民間のスポーツ療育のコーチとも連携が取れ、後半に娘はグンと成長しました。


お勉強系でもなく、親の出番も多くなく、中規模ぐらいというちょうどいい環境で3年間ゆったり過ごせたのがきっと娘にもよかったと思います。
そして現在は「ちょっとお世話焼きたがるガール」と「心優しいボーイ」という(娘にとって)最高の布陣ともいえるお友達のお陰で毎日楽しく幼稚園に通えています。

定型児の多い幼稚園に入れてよかったこと

いわゆる障害のない、「定型児」のお子さんが多い幼稚園で、その中で娘はどうなるかなぁと思っていました。
よく「集団の中に入ると」とか、「周りのお友達の影響を受ける」と言われますが、全く人に無関心、マイワールド全開な娘なのであまり期待していなかったのが本当のところでした。
まぁやっぱりその通りで、年中になっても「お友だちの模倣」がなかったので自閉症スペクトラムの診断が下りるわけですが。


↑この本も読んだんですが、いまいち症例に娘は当てはまらず。



でも、そこでいい意味で「年相応の発達」というものを目で見て親側がわかるんですよね。
「ああ、この歳だとこれぐらいできるのか」とか、「コレぐらいのことをやるんだな」とか。
本や母子手帳で見るけど、実際見るとやっぱわかりやすい。
すると、娘はまだできてないな→療育で話題にする→課題として訓練をお願いする→トレーニングのゴールが定まる、と道すじができるんですよね。


逆に、「ああ、定型の子でもこういうことは難しんだな」ということもわかります。
うちの娘は「発達性協調運動障害」も持ち合わせているためどうしても親の私が「この子は不器用だから」と、前提ができてしまうので「本来の5歳児でも難しい」ことも、「娘だからできない」と思ってしまいがちなのです。
でも、本当はどの子にとっても「難しいこと」だったりするので、そういうのを実感できるのはとても良かったです。



↑苦手なことが多いので、今後もこちらは先生たちと相談する前にたまに読み返そうと思っています



具体的な成長

・言葉→
STを経て、「質問に応じた答えがきちんとできる」というところまできました。
文章の組み立て、助詞の使い方はまだまだのところが多いです。
ただ、書いてある文章を正しく読めるようになってきました。



夏前から読み始めて、最近文字はスラスラと読めるようになりました。
適当にやってましたが、それなりに効果はあった気がします。
自分で適当に文章読んじゃう(作っちゃう)+助詞を自分で適当につけるというのが減っています。



あと歌は音階が死んでて全部念仏だったのが、音階が付くようになって歌えるようになりました。
そして言葉がおぼつかないので、「幼稚園で今日なにしてきた?」もろくに答えられず。
なにしてるんだろ、とヤキモキする日々でしたが、とりあえず完食してる&おたよりで答え合わせ可能な「給食の内容」を会話の糸口にしていました。
「今日お給食のデザートなんだった?」→「ゼリー!」→「何色のゼリー?」→「ピンク!」→「じゃあ桃味?」→「うん!」みたいな。
そこから少し出てきて、やっと今年に入ってから「◯◯の絵を描いた」、「◯◯ちゃんとおしゃべりした」と報告があるようになりました。
うん! つい最近!!!


そして年長はエコラリアなのか音声チックなのかわからないけど、「私いまなんて言った?」という確認作業とか、「◯◯ってなに?」とずっと繰り返す時期がありました。
めっちゃ疲れた!!!
それと同時に息を吸い込むチックみたいなのも出ている時期もありました。
原因不明でしたが、いつの間にか治りました。


・絵→

年少の頃


めちゃくちゃ上手になりました。絵は幼稚園の子の間でも評判のようです。

2年後

・手先→
入園時はマスクを一人で付けるのも難しかったのですが、ボタン類は全部とめられるようになりました。
が、まだお着替えは下手です。課題。
ただ、幼稚園の制服はブラウスにカーディガンとボタンが多かったのが、小学校は私服でこちらで着させやすい服をチョイスすればいいのでそこまで困らないのでは? と思っています。
体育の着替えが最初の難関かもしれない。
ちなみにまだ補助箸です。左利きということで私たち大人の家族がみんな右利きでお手本にならないにもあって……。


・情緒→
大きな癇癪はほとんどないぐらいに。
ただ、弟や小さな子が泣いていたり大声を出すとイラっとするようで、手が出ます。
一時期は子どもの泣き声に過敏になってしまい、フードコートに入れないぐらいでした。
あと物をなくす、見つけられないとパニックになりがち。
いまでもこれは治ってないです。
自分の要求が通らないと大声を出すのも変わってませんね。
うーむ。
今年は1月に富山にて能登地震に被災したストレスを経て、2月あたりはすごく調子よかったのです。
ですが3月頭にインフルエンザをやって、そして卒園と大きな環境の変化で最近荒れがちです……。


あと、ようやく「暑さ寒さ」がわかるようになって、自分から「暑いからコート脱ぐ」・「寒いからコート着る」と言うようになりました。
感覚鈍麻気味だったので、「◯◯ちゃん(同じクラスの女の子)がコート着てたらあなたも着なさい」と言っていました。


で、うちの娘は結構「本番に強い」という、日本舞踊と演劇部だった母(私)の血を受け継いだのかなんか、おゆうぎ会とかクリスマスコンサートとかで大きなミスをしないんですよ。
だから「え、普通に馴染んでる!」と勘違いしそうになるんですけど、まぁ授業参観行ったら「はい支援級一択!!!」と思い直す、そんな年長さんでした。


カミングアウトについて

幼稚園がいわゆるPTAとか「親の会」とかがなく、行事の時しかほかのお母さん方とお会いしません。
とくにうちはバス通園だったし保育終了後の課外授業も受けていなかったため、ヨコの繋がりが皆無。
そのため娘のことをカミングアウトするタイミングが全くありませんでした。
まぁ、行事の様子で「あっ(察し)」となっていると思います。
なので同じバス停のお母さんと、上に出てきたお世話焼きガールのお母さん(下の子がうちの下の子と同い年でまた同級生になる予定)ぐらいにしか話してないです。
もし卒園式後に軽く親だけの集まりがあって、そこで一言とかあるなら「支援級に進みます」ぐらいは言おうかな、と思っています。
まぁ同じ小学校行く子が皆無なんですけどね! それはそれで寂しい!


初日から、泣きもせずスタコラサッサと通園バスに乗り込んだ娘。
こんな幼稚園が大好きになるとは思いませんでした。
いまはもう「卒園式いかない!」とストライキ起こす勢い。

よかったね、素敵な場所だったね。
卒園、おめでとう。