昨日のNHKの『あさイチ』を途中から見ていました。
「“オタク心”でハッピー」という特集。
見始めたのは、「トラブルを起こす困ったオタク“困オタ”」がいるよっていうところから。
VTRではいわゆる「撮り鉄」が、線路まで入って駅員の人に注意されているのに「え? 聞こえませんでした」とヘラヘラ(個人的主観)していた映像。
「これはオタクじゃない!」
「ただの困った人だよ!」
とスタジオの方たちも怒ってました。
解説の甲南女子大の教授が「注意を聞いていないんじゃなくて他人を認識してない」というような発言をしていました。
ふと、中島梓の『コミュニケーション不完全症候群』を思い出しました。
3月の大学教授の勇退記念講義で取り上げられていたこの本。
i3valley.hatenablog.jp
講義があってから読んでいるんですけど、なかなか文章にクセがあるので読みにくく(個人的見解)、本当ゆったり読み進めてなんとか読了したって感じです。
その本の始まりの方に、幼稚園での話なのですが、
とにかくひどく人に突き当たるお母さんがいるのである。つきあたるというか、なんというかまったく私とかほかの人間などこの世の中に存在していない、というようにふるまっている。
(中略)
ただのいじわるか、要するに私を気にくわないということだが、そうではなくってだれにでも同じことである。つまり彼女はまわりに人がいる、それもいっぱいいるなどと、夢にも気付いていなかっただけのことなのだ
という人が出てきて。
このお母さんはその後、幼稚園の保護者として挨拶したり、話をするようになって、他の保護者の顔を認識するようになるとこのような行動がなくなったそうです。やっとこさ「人としての認識」がこのお母さんのなかで生まれて、それまでは石ころとか空気とか「そのへんのもの名も無きもの」だったのが、やっと「他の人」という認知が生まれたと書いてあります。
自分の後ろに「人」がいるとわかったから、突き当たることもなくなったと。
多分上に出てきた「困オタ」っていうか困った人も、注意を聞かないのではなく、他人を他人と認識してないのかなーと。
自分の中に存在していないものだから、何も聞こえない、見えない。ほかの人は透明なんでしょうね。
この本、出たのが1995年。
「困オタ」というか「困った人」はこんな昔からいたんだなぁ……。
なんというか、「困った人」はいたけど、多分近年はSNSとかで上の「お母さん」のような人よりわかりやすい「オタク」の人が注目されやすい一面もあるんじゃないかなーと。
「突き当たるお母さん」も「困オタ」も本質は一緒。けれども「目立つ」のはオタクの(本来はオタクって目立たないものじゃ…)方だから、いろいろ言われやすいのかな。
話変わるけど
あと、私、前に最近の少女漫画の家族構成が複雑だわ! と書いたんですけど。
i3valley.hatenablog.jp
中島梓のこの本の後半には「JUNE小説」「JUNE的作品」について語られているんですが、その中に「父の不在」が決定的にあり、
「普通の環境で育った子供が存在しないかのようにさえ思える。
と書いてあって、最近の少女漫画って、こういう「JUNE的作品群」に近づいているのかなあ…なんてぼんやり思いました。
私は「JUNE的作品群」を読んでないのでぼんやりで、なにも根拠がありませんが…。
本のなかで「父の不在」ないし、「父への固着」がJUNEというジャンルにおいて極めて重大なテーマといえると書いてあり、上にも書いた『たいようのいえ』は母が最初から不在(終盤やっとでてくる)、父親はいるけど不仲で主人公はめちゃくちゃ父親について考えて、悩んでいるんですよね。
こういう面があったからこそ、ただの「幼なじみと同居ラブストーリー」にはならない面白さがあったんだろうな、と。
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本日は以上です(やっぱりオチがない……)。
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