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コスメや漫画や演劇やたまにライターの仕事の話とか

雑談以外の何物でもない

結局今週は自分が使いモノにならなかったでござる……。

大阪と富山と愛知に住んで思うこと

私は幼少と成人してから少しを富山で過ごし、ここ2年愛知県、それ以外は大阪で育ちました。
大阪では「高級住宅地」と呼ばれるエリア、富山は市内、愛知は名古屋と郊外に住みました。

住んだ感想

大阪はやっぱ都会。人も情報量もぜんぜん違う。
正直、愛知と富山はすごく似てる。私のいま住んでるとこ、すぐそこ田んぼだし。バス来ないし。車社会なのも同じ。
ただ、名古屋と富山はあまり似てない。名古屋は都会だから。

情報格差

私が幼少の頃住んでいた富山県
まずいまでもテレ朝とテレビ東京系は入りません。私が小学生の頃やっとTBS映るようになった。
最近はケーブルテレビ入っていればテレ朝見られるようになったけどね。
私がセーラームーン見てるとき、大阪ではセーラームーンRやってたよ。


でもいまは、テレビはネットで見られる。
そして売っていない本も、服も、化粧品も、ネットで買える。
スマホでいろんな情報を得られる。


でも、それは全て「自分で掴みに行った」情報。

足りないのは「選んでない情報」

地方にたりないのは、「自分が選んでない情報」。
例えば、本屋に行って自分の目当ての本に、たまたま横に並んでいた背表紙がキレイな本。
テレビをザッピングしていて、たまたま見たすっごく面白い番組。
服を買いに行って、たまたま手にとったらすっごく手触りがよかったセーター。


その、「たまたま」で「一生」の出会いになるかもしれない、そんなものが圧倒的に足りてないと思う。
都会はそういうものが意識してなくてもあっという間に手に入っていて、いつのまにか自分のものになってたりする。
それが自分の知識になって、武器になってたりする。気が付かないうちに。
街の本屋さんってそういう場でもあるから、なくならないでほしいな~。

私も大阪に引っ越してケーブルテレビ入ってなかったらもう10年以上ファンやってるスガシカオに出会ってなかった。
あのまま富山で中学生になってたらスガシカオ知らなかっただろうな。
あと大学もそう。
なんとなく取った授業がすっごく面白かったりして。私そこで「水木しげる」すごく好きになった。ジャズのマイルス・デイヴィスにも出会った。


「まれ」の感想で

そう考えたのが、NHKの朝の連ドラ「まれ」の感想を書いているブログを漁っているときに、


「東京と男両方手に入らない」っていうセリフが多用されていて、東京生まれは努力をしていないように聞こえるのがイヤ


って書かれていたんですよ。
ああ、確かにそうだなって。
でもこのセリフって、本当地方の「都会コンプレックス」をばーんと表したセリフだなぁって。
そりゃ、東京生まれ東京育ちの方でも叶わない夢もあるだろうし、努力してもダメなときってあると思うんです。
あとは家がめちゃくちゃ厳しくてマンガとかTV禁止されていたとかね。

けど、まぁ私も根が田舎者なので、ほぼ僻みなんですけど(笑)。
「まれ」のような北陸って本当上に書いた「たまたまの出会い」がないんですよ。
必要最低限の情報量しかないんですよ。とくに「まれ」って、まれが成人するまでだいたいガラケーだし。
それに比べると「でも東京は圧倒的に情報量違うじゃん」って思っちゃうんですよ。
多分これが、都会の人と地方の人のそれぞれのコンプレックスで、一生交わり合わないとこだなと思います。


東京のテレビもみたいよ

専業主婦やってて午前~夕方の番組をよく見てて。
すごく地方色が出るんだけど、やっぱウワサの「5時に夢中!」見てみたいと思う。
関西の深夜番組もっとみたいと思ったりする。ネットでじゃなくて、テレビでみたい。
こういう「選びに行く程でもないけどほしい情報」って結構ありそう。
いや、別に東海エリアの番組が面白く無いってわけじゃなくて。「大徳さん」大好きだし。
全国均一にっていうか、「みんなが同じ情報を得られる」っていうところでは結局NHKっていいなと思う。



みんながある程度同じ情報を得られるようになって、そこから自ら選ぶってことが大切だと思うんだけど、ぱっと誰かが用意したものからぱっと取って「選んだ気」になっちゃいけないよね、って最近自分でも反省してるのです。



ネットが普及したからって情報格差はなくなってないと思うし、ネットがあるからいいでしょって、都会も地方も思わないようにしないといけない。
やっぱ、百聞は一見にしかずって大切な言葉だなぁとしみじみ思う。

と、この一週間、動かない頭で考えていたでござる。せっかくなので文字化して置いておく。